私達の食生活になくてはならない、「豆腐」。動物性タンパク質が豊富に含まれており、日本人にとって豆腐は貴重なタンパク源です。豆腐は今から約2000年前に中国で創製されました。奈良時代になると、中国から日本へ伝えられたと言われております。

 油で豆腐を揚げた油揚げができたのは、1464年〜1492年の間と言われております。それから栃尾に油揚げが伝わったのは今から約450年前と言われ、通常の油揚げより大きくなったのは約200年〜250年前であると言われております。

 栃尾は海から離れた盆地なので、昔は魚介類の入荷が少なく、体に必要なタンパク質、脂肪を油揚げから摂取するため、このような大きさになったと言われています。
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一つ目は上杉謙信が常安寺に築き上げた守護神・秋葉三尺坊大権現の住職から、豆腐屋の林蔵に参詣者のお土産で考えて作って欲しいと頼まれたのがきっかけと言う説です。

秋葉神社は火伏せの神様として信仰されていて、全国から多くの参詣者が訪れていました。林蔵は江戸で修業し、油揚げを作りました。それが秋葉神社のお土産として定着していったのです。
「秋葉神社の参詣者のお土産説」
もう一つは江戸時代に栃尾で馬の競り市が開催されました。馬の競り市の時、中買人である馬喰(ばくろう)達が酒の肴として手づかみで豪快に食べたことからと伝えられています。

そして徐々にその豪快な食べ方に合わせ油揚げが大きくなっていったと言われています。
栃尾のような山間地では、油揚げは昔から植物性たんぱく質の貴重な供給源でした。

このうま市は現在では馬の売買ではなく、百店以上の露店が並び賑わっています。
「馬喰達の豪快な食べ方説」
 栃尾の油揚げなどの製法は江戸系に属していると言われていますが、大型の油揚げを揚げる製法は1835年前後に考案されたと伝えられています。

栃尾独特の方法であり、高温、低温の2つの鍋を使用した製法と言われています。油揚げの元となる豆腐状のものを水切りにし、約80度の鍋で一旦揚げます。その後に約160度で別の鍋で再び揚げで出来上がりというものでした。

通常の約3倍もある「栃尾の油揚げ」。長い伝統を持ち、その大きさは長さ20センチ、幅6センチもあり、厚揚げと間違えられることもあるほど、分厚く巨大です。

豪雪地帯の栃尾弁、油揚げの発音は省略されて「あぶらげ」と呼ばれています。
栃尾の油揚げの起源についてはいくつかの諸説がありますので、ご紹介したいと思います。