有限会社油屋久助商店
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〒940-0023
新潟県長岡市新町2丁目1-9
有限会社油屋久助商店 栃尾工場
〒940-0241
新潟県長岡市北荷頃字西荒途56-3
「創業より400年。長岡とともに歩む。」
 弊社は元和二年(1616年)に築城が進む長岡城下の旧新町村(現長岡市新町)に創業してから400年わたり、長岡の歴史とともに歩んで参りました。元々は屋号の通り、江戸時代は菜種や胡麻などから油を搾って生活にお届けする商いでありました。また、重要な必需品である塩も商っておりました。「めだれ」と言って、この塩の俵を大きな壺に板を二枚敷いた上に重ねて載せ、垂れてくる「にがり」を壺に溜めて豆腐の凝固材料としておりました。長い江戸期の間、油を搾る作業は当然機械は無いので人力で一滴でも多く搾るため、極めて重労働な仕事だったようです。

 長岡は幕末の戊辰戦争のとき、大軍で押し寄せる新政府軍と佐幕を貫こうとする奥羽列藩同盟との間で中立を唱え両軍の戦闘を制止しようとしましたが、叶わず戦火に巻き込まれ、同盟に加わった長岡の城は落城しました。一旦長岡藩軍は栃尾から加茂に退き、幕末長岡の英傑河井継之助総督指揮の下、当時新保村の北東に広がっていた八丁沖と呼ばれた沼沢地を密かに忍び寄り奇襲の末、政府軍監西園寺公望公、名将山県有朋らの政府軍から長岡城を奪還しました。
しかし、わずか1500名の長岡藩軍では4万の新政府軍の再攻に苦戦し、長岡の北側入り口にあたる弊社前の新町大通りで大激戦となり、総督河井継之助は銃弾を受けて重症を負い、戸板に載せられて後方に退却し、その後再び長岡は落城しています。この戊辰戦争時の長岡戦で城下町の大半が焼失してしまいました。
弊社には、当時の弊社建物の廊下を戸板に載せられて運ばれていった伝承が残っています。

 焼け野原の長岡で当家も何とか再興し、明治期に入ると長岡の地は日本の産業革命を支える油田が開発されました。この波に従って弊社も石油産業に進出しましたが、輸入石油に切り替わっていく時代に事業を転換、豆腐の原材料と豆腐の製造器などの卸売りを主業とするようになりました。

 しかしながら、第二次世界大戦末期には125機にもなるB29爆撃機編隊により163,456発もの焼夷弾が落とされ長岡は再び焼け野原と化しました。弊社も大打撃を受けました。
すべてが焼失したところからまた再興し、豆腐の製造装置・機器の販売とメンテナンス業も加わり、現在に至っています。

こうした歴史を背景に不屈の精神で社員一丸となり、お客様に喜んで戴けるよう日々取り組んでいます。
電話番号
FAX番号
住所
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住所
電話番号
FAX番号
0258-84-7731
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本社新町通口
長岡本社
豆腐原材料商社
豆腐製造装置 販売・メンテナンス
「あぶらげ」製造
新町倉庫
会社紹介
摂田屋とうふ 株式会社 佐野屋
住所
〒940-1104
新潟県長岡市摂田屋町2834−3
電話番号
FAX番号
0258-21-1283
0258-22-1285
 大正2年に創業。佐野助蔵に始まり100年の歴史を刻んでまいりました。2004年の中越地震の痛手から廃業のうめきに合いましたが、新潟にうまい豆腐ありと全国に知らしめた老舗が消えることを惜しみ、この佐野屋に豆と機械を納めていた創業400年の全国でも有数の伝統を持つ油屋久助商店が、伝統ある佐野屋の暖簾を守ろうと佐野屋を引き継ぎました。大豆をはじめとする原材料と豆腐造りの設備や豆腐造りの現場には特にこだわりを持って皆様に本当に良いお豆腐を提供しようという思いでおります。
醸造元が集まる摂田屋の良質な地下水と厳選された大豆、天然にがり、そして究極の造りにこだわった佐野屋の豆腐は素材の美味しさを充分に味わって頂ける逸品です。